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基本知識「元アメポチで米に大金献上&日本を借金まみれにした男、小沢一郎」

最近小沢一郎について西松に代表される政治と金の疑惑や、政権交代後の一か月ルール破りや陳情一元化などの専横ぶりや倫理観に対する小沢批判が主流となっていますが、そもそも論として小沢一郎がいかにいい加減で日本に害をなした悪質政治家かという部分について、多くのサイト等で既に語られている事ですが、再度簡単に列挙してみたいと思います。


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1、元日本一のアメポチとして米国に褒められた小沢一郎


 


現時点で非常に反米的色彩が強い小沢一郎ですが、実は過去ずっと日本一の親米政治家と評されるほど、米国追従の考えを持って行動していました。


 


sankei記者ブログステージ風発


http://komoriy.iza.ne.jp/blog/entry/1797785/allcmt/


しかし小沢氏はかつては日本の政治家でも親米派の筆頭として米側で知られていた。一九八〇年代末の日米経済摩擦では難問の電気通信機器の日本市場開放問題で官房副長官として米側も満足する開放策をまとめあげた。その結果、米側の政府、議会ともに対米協調の実行力ある政治家という評判を生んだ。


 


一九九〇年の湾岸戦争でも小沢氏は自民党幹事長としてアメリカに対する支援体制の強化を一貫して主張した。難色を示す外務省を抑えて、国連平和協力法をまとめ、米側から歓迎された。そして著書の「日本改造計画」で大胆な規制緩和を説き、これまたアメリカ側から共鳴を表された。この書は日本に対しアメリカとも歩調を一とする「普通の国」への生まれ変わりを説いていた。


 


私も一九九四年七月、新生党代表幹事となった小沢氏とワシントンで対談し、氏が「日米同盟の堅持」とか「成熟した日米関係の維持」を熱をこめて語るのを聞いたことがある。小沢氏のそのアメリカ支持の姿勢は自民党の野中広務氏からは「売国」のレッテルを貼られたほどだった。


 


 


2、湾岸戦争に際して135億ドル血税献上した小沢一郎


 


wiki


政府は8月30日に多国籍軍への10億ドルの資金協力を決定、9月14日にも10億ドルの追加資金協力と紛争周辺3か国への20億ドルの経済援助を、さらに開戦後の1月24日に多国籍軍へ90億ドルの追加資金協力を決定し、多国籍軍に対しては計130億ドル(さらに、為替相場の変動により目減りがあったとして5億ドル追加)もの多額の資金援助を行ったが、アメリカを中心とした参戦国から金だけ出す姿勢を非難された。ただし、日本の拠出した総計135億ドルという額は、日本の経済規模や中東石油への依存度を考えるとそれほど突出した額ではないという意見もある。


 


東京都石原知事記者会見


http://www.metro.tokyo.jp/GOVERNOR/KAIKEN/TEXT/2006/061110.htm


例えば湾岸戦争の時ね、ブレディ(ニコラス・ブレディ 米国財務長官(当時))の一喝でね、幾ら金払った。130億ドルだよ。2回に分けて。それからその後ね、やっちゃいけない構造協議をバイラテラルに(2国間で)やったのは小沢じゃないか、金丸(金丸信 元衆議院議員、元自由民主党副総裁)の下で。


 


補足・・・この時小沢一郎は海部政権の幹事長でした。小沢は海部の事を「担ぐ神輿は軽くてパーな奴が一番いい」と言ったように、事実上金丸と小沢が実権を握る傀儡政権でした。そう、鳩山政権と同じ状態でした。サヨクやCIA陰謀論者が大嫌いな湾岸戦争に血税を大量献上したのが誰あろう小沢一郎でした。


 


補足2・・・献上直後に湾岸戦争が終結したため、献上金の一部が小沢にキックバックされたという噂がある。


 


3、日米構造協議で430兆円のムダ公共投資を決めた小沢一郎


 


総力大特集 安倍か、小沢か WILL 2007年9月号 石原慎太郎 (東京都知事)


 


アメリカの経済奴隷に



 日本とアメリカの関係の中で、日本をアメリカの経済奴隷にしたのは誰か。金丸・小沢じゃないですか。

 大都市はともかく、地方都市の商店街はほとんど潰れてしまった。そして代わりに郊外に大店舗が出来た。

私は自分の選挙区での体験から、こんなものを作ったら商店街は駄目になるとわかっていたし、多くの者が反対した。

アメリカの圧力のままに、大店舗法なるものを改悪し、商店街を潰したのは金丸、小沢です。

 それから、やっちゃいけない日本とアメリカの対の経済構造協議というのをやった。

 世界が狭くなってきて、経済先進国同士で問題が起こると世界全体に影響を及ぼすからと、みんなで合議しようということで>経済先進国が集まってWTOとかOECDを作った。

 しかし、アメリカは日本の経済に押されて具合が悪くなってきたので日本をとっちめてやろうと、安保条約で恩に着せて、自分達が軍備を使って日本を守ってやっているんだから言うことを聞けといって、バイラテラル(2国間)の経済構造協議をやることになった。

 私達は大反対しました。案の定、アメリカは270項目の要望を突きつけてきた。中にはとんちんかんなものが随分あった。

 私はそれに反対して、140項目の反対案を作った。

私が主宰している黎明の会という政策研究会のメンバーには、今は自民党を離れてしまった亀井静香くんや平沼赳夫くんがいました。

 そして私達がそれを発表しようと恩ったら、自民党の最高議決会の総務会が4回潰された。小沢幹事長が命じたんです。

会期末だったので、そのまま国会は閉幕。仕方ないから私達は翻訳して、外人記者クラブでも発表した。

アメリカは嫌がるだろうけれど、私はやりました。しかし結局、アメリカの無法な要求はいくつか通りました。


 


wiki


日米構造協議(にちべいこうぞうきょうぎ、: Structural Impediments Initiative (SII))とは、アメリカ日本の間で、日米貿易不均衡の是正を目的として1989年から1990年までの間、計5次開催された2国間協議である。1993年に「日米包括経済協議」と名を変え、1994年からはじまる、現在の「年次改革要望書」への流れを形成した。


公共投資の拡大


最終報告の中でアメリカは、「(日本は)輸出につながる産業分野への投資より、公共分野に投資するほうが賢明」であるとし、日本に対しGNPの10%を公共事業に配分することを要求した。海部内閣はこれに応え、10年間で総額430兆円という「公共投資基本計画」を策定した。しかしその後、アメリカ側から「日本の対外黒字の増加を考えれば、公共投資の目標の上積みが必要」との要望があったため、1994年に村山内閣で計画が見直され、社会資本整備費としてさらに200兆円を積み増しし、総投資額は630兆円を計上している。この投資行動が現在の日本の財政難の遠因であるとの指摘がある(しかし、純債務で見れば日本は財政難ではないという意見もある)。


このアメリカの要請の背後には世界に流出する多額のジャパン・マネーがドルの影響力を希薄化させていることを懸念し、ジャパン・マネーを日本国内に閉じ込める狙いがあった。


 


 


4、日米構造協議で大店法を改正し地方をシャッター街にした小沢一郎


 


wiki


大店法の規制緩和


大型店を規制していた大規模小売店舗法だが、最終報告に対する日本のコミットメントを反映し、大型店の出店調整期間の上限が1年半に設定された。また1994年には1000平方メートル未満の出店が原則自由とするなどの改正が行われた(その後、大規模小売店舗法は廃止された)。結果的に郊外に大型量販店が次々にできたため、地方都市中心部などの小売商店街の客足が途絶えるなど、各地にシャッター通りを相次いで発生させたとの指摘がある。


 


補足・・・ここで岡田サンが暗躍し、現在のアレの大繁栄があると言われています。


 


 


5、金丸時代から北朝鮮利権にどっぷり浸かった反日政治家だった小沢一郎


 


wiki


1990年(平成2年)、金丸を代表とする北朝鮮訪問団(金丸訪朝団)に参加する。


 


中韓を知り過ぎた男


http://kkmyo.blog70.fc2.com/blog-entry-139.html


小沢一郎は自民党時代は金丸信の影に隠れて美味しい思いだけを

してきた。1990年、金丸訪朝団の一員として北朝鮮を訪問する。



金丸は北朝鮮に「戦後の45年間」の謝罪と賠償を約束してきた

見返りに川砂利利権その他を手に入れる、

その後脱税事件の家宅捜査により刻印のない北朝鮮の金の延べ棒が

金丸事務所より出てきた。

小沢氏は金丸の腰ぎんちゃくとして蜜の味だけを知る。


補足・・・省略しますが、小沢一郎は数々の北朝鮮擁護発言で知られています。


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6、信念ブレブレ、日本改造計画という本で小さな政府や自由主義説いていた小沢一郎


 


小沢氏は『日本改造計画』の原点に帰れ BLOGOS


http://news.livedoor.com/article/detail/4973370/


小沢一郎氏の出馬は民主党が、そして日本が立ち直る最後のチャンスかもしれません。日本の政治が低迷している原因は、90年代以降の世界の変化に対応して日本が大きく軌道修正しなければならないのに、自民党政権のころの「官僚丸投げ」が続いてきたことです。それに対して政治改革を実現しようとして自民党を割った小沢氏の行動は、それがたとえ党内の権力闘争に敗れた結果だったとしても、間違っていなかった。



そのとき彼の書いた
『日本改造計画』は「小さな政府」をめざす理念が明確でしたが、その後の小沢氏は政局の読みを誤って自民党政権の復権を許してしまい、政党は離合集散を繰り返して、経済の低迷はますます深刻化しました。



その中でも、自由党のころまでの小沢氏は一貫していましたが、民主党との合併以降おかしくなり、最近は菅首相より社民的な路線を打ち出すようになりました。これが田中角栄以来のバラマキ路線に戻ったのだとすれば、彼に何の期待もできませんが、彼の持論が「保守二党論」であることから考えると、これも権力を取るための戦術的リップサービスかもしれない。



桜井よしこ


「 民主党政権を主導する小沢一郎氏 矛盾に満ちた変節を疑う 」


『日本改造計画』(講談社)を世に問うた1993年、氏が主張した政策、憲法改正を実現して日本は普通の国になる、自己責任を旨とし小さな政府をつくる、小選挙区制導入で二大政党制を実現するなどは真っ当な主張だった。



しかし、その後、氏の主張は著しく変化した。すべての根幹である日本国のあり方についての考え方も変わった。憲法改正、普通の国という考えが後退し、国連重視の度合いが強まった。



たとえば、『日本改造計画』では憲法九条を離れて日本は普通の国になるべきだと主張した。集団的自衛権を行使するための「小沢調査会」も設置した。96年の『小沢一郎 語る』(文藝春秋)でも、「日本だけが、お巡りさんの役は御免こうむります、消防士にはなりません、清掃作業も御免こうむります、汚いこと、嫌なこと、危険なことは私ら全くやりません、と言って済みますか」と問うている。



しかし、氏は同書でこうも書いていた。個別的、或いは集団的自衛権で平和を保つ時代はすぎて国連中心の平和維持活動以外に平和を担保する道はないのだから、平和維持のための御親兵を日本が国連に提供すべきだ、と。



ついに、日本は国連に「御親兵」を捧げて、国連の理想を広める先頭に立つべきだと主張するに至ったわけだ。これでは普通の国ではなく、夢見る異常の国である。



小沢一郎が小泉と同様な考えを先に持っていた事は有名で、むしろどうして急に変化したのか?という疑問こそが普通であって、小沢信者達の言う信念の人、考えがブレ無い人、というスローガンが何を持ってそう言われているのかむしろ不思議と思われますね。


 


 


まとめ


 


小沢一郎は元アメポチであり、アメリカに大金を献上したり、無駄な公共事業を取り決めて日本を借金まみれにした。さらに大店法改正で地方をシャッター街にし、地方疲弊の端緒を開いた。


=失われた10年のもとを作ったのは小沢一郎。


 


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by bluegreenEXT | 2010-12-07 00:21 | 小沢一郎疑惑
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