人気ブログランキング | 話題のタグを見る

日本保守ニュースブログexcite(Iza保存庫)


外国人参政権反対 嫌韓国中国朝鮮 急げ再稼動!
by bluegreenEXT
以前の記事
最新の記事
カテゴリ
本体ブログへのいざない
海と緑の日本保守ニュースブログame
本体ブログです。
更新が頻繁ですのでこちらをどうぞ。

クリック協力おねがいします!!

人気ブログランキングへ
最新のトラックバック
記事ランキング
検索
画像一覧
ブログジャンル
お気に入りブログ
ライフログ
タグ
その他のジャンル
ブログパーツ
外部リンク
ファン

「地域の聖域」と「科学による治定」別個に両立してこそ真の八百万の神々だ 「全国各地にある義経の墓」

(産経には珍しく、またバカ記事を書いているので追加して書き直します。)


 


【主張】天皇陵の治定 科学だけで割り切れない


 


今日の産経の主張について少々おかしいと思う部分があったので書きます。


 


確かに何でもかんでも科学万能だと言って宗教的な崇拝や尊敬の念まで否定する事には自分も反対です。そういう意味では根幹部分では同様な考えなのかもしれない。けれども今回の主張にあるここの部分にはどうしても納得できない。


 


宮内庁治定の斉明陵(越智崗上陵(おちのおかのえのみささぎ))は、隣の高取町にある。「今回を機に治定を見直しては」という論調が、メディアで目立つようになってきた。天皇


 現在、188ある陵(天皇、皇后、皇太后、太皇太后の墓所)は、ほとんどが江戸時代から明治にかけて定められた。考古学も未発達の時代に、「書紀」などに記された墓の場所を頼りに決めたのだから、科学的な検証が不十分なことは当たり前である。


 「古代の天皇陵で、確実に被葬者が一致するのは天智天皇陵(京都市山科区)と天武・持統合葬陵(明日香村)だけだ」(森浩一同志社大学名誉教授)のような指摘もある。


 ではあっても、100年以上にわたって大切に守られ、陵前での祭祀(さいし)も続けられてきた。こうした伝統を現今の「学術的成果」だけで否定し、安易に治定変更していいものだろうか。


 


なにやらこの記事を書いた人は、今まで100年間集めてきた尊敬が、簡単に否定されてしまうという事に残念な感情を抱いているのでしょうが、それこそはき違えているのでは無いでしょうか?自分は例え仮にその御陵の指定が解除されたとしても、確かに御陵としての祭祀等は存続されなくなってしまうかもしれませんが、地域の聖域としてさして変化する事は無く、そのまま信仰の対象として続くと思うのですが。何しろ全国各地のどんな小さな御社や地蔵もその地域地域の故事由来を持っている訳であり、そういう意味では宮内庁という現代の一機関が指定している・していないで尊敬や信仰が変化するとするほうが権威主義的で勘違いも甚だしい。


 


さらに今回の発見で重要なのは、墓の形式や周辺状況等が日本書紀に合致するという点です。記者は宮内庁が指定する御陵の位置が記紀を参考にし・・と書いていますが、同じく記紀の記述を尊重するならば、江戸時代や明治時代にいうなればあてずっぽうに「この辺だろう」と指定した物と、最新の科学調査と日本書紀の記述が合致したものとどちらが正しい物なのか。むしろ記紀の記述が裏付けられたと痛快に感じるべきところを、たかが100年前に指定された「権威」があるからとそれを四角四面に守る必要があるのでしょうか?


 


逆に極めて重要な墳墓が、宮内庁指定でないというだけで工事で潰される危険性もはらんでいると思いませんか?


 


何も自分は全ての御陵をひっぺがして調査しろとか乱暴な事を言っている訳ではありません。けれども偶然にしろ何しろせっかくの調査で現代に顔をのぞかせた古代の実相という物について、非常に確度が高い物についてはその都度検討して治定を見直すくらい何が問題なのでしょうか?それこそかなり確実性が高く御陵でない可能性がある物を無理やり敬えというのは、戦中のご真影に対してお辞儀せよと命令していたのと通じる部分があり、現代の人心を離れさす原因になるのじゃないでしょうか。


 


さらに言えば、国家国民統合の象徴として、皇室は敬うべき権威ですが、宮内庁とその付属物は別に権威でも何でも無い。別に乱暴に扱えという訳では無く、あまりにも権威主義的に物事を考えなくとも、国民のご皇室への尊敬の念はそうそう変わらないと思うという事です。


 


・・・まあうがった見方をすれば、現在の民主党政権でこういう部分にタッチすると、不必要な改悪が施される可能性は大なので、それならば触らない方が良いという事もあるかもしれませんが。


 


「地域の聖域」と「科学による治定」別個に両立してこそ真の八百万の神々だ 「全国各地にある義経の墓」_c0294269_2103384.gif
にほんブログ村


 


(ここより追加)


 


【産経抄】12月25日


 


イワシの頭も信心からと「治定」の区別がつかない産経抄?


 


さすが産経というべきか、似たような思考の記事がまたあったので気になりました。どうも産経というのは「科学万能」「科学一辺倒」安易に否定すれば美しいとでも思い込んでるのか、逆に紋切型の思考に陥ってウンザリします。むしろどこかの部族の科学と見れば魔術かなんかだと決めつける未開な発想が匂って残念ですね。「はやぶさ」称賛したのは一体誰なのでしょうか?


 


>▼曽野さんに言わせればそんなことはどうでもいい。生誕の背景に思いを寄せることの方がずっと大切なのだ。実際、世界中のキリスト教徒たちはその誕生日が正確にいつなのかにかかわりなく、2千年間、キリストへの信仰を守ってきたのである。


 


キリスト教の話題と今回の治定問題、共に宗教がらみの話題であるから、同じ事と混同する者もいるかもしれないが、一方は信仰の根本に関する話題、一方は記者が一方的に信仰を否定する事になると決めつけている勝手な設定、同じ事例として比べるには適切とは感じれない。キリストの誕生地という「事績」についての信仰と、確かにあった人の「墓」はどこかという事を後の人に確かに残すという公的な記録作業は全く違う。前から気になっていたが、信仰や信心という物と、治定とを強引に結びつけているのはこの記事の方なのでは?


 


そもそも「治定」という特殊な宮内庁の作業とは別に、科学的な場所の推定作業はキリスト教、天皇陵ともに進められている作業であり、そちらを比較するならともかく、「こういう学説があるのにキリスト教の信仰は揺らがない」という事例と「治定」で地方の信仰が否定される・・とする記者の一方的な仮説とは全く次元が異なる。バカしか騙せないすり替えだろう。


 


ここの問題は何教と何教、どちらが優れているかとか、どちらの信仰の形態がどうだ・・というような難しい事じゃなく、何故「治定の変更」が地域の素朴な信仰の否定につながると記者は決めつけるのか、そこについての疑問、一点であろう。


 



>▼しかし古代の天皇陵に疑問が残る例はいくらでもある。例えば奈良時代の47代淳仁天皇陵は淡路島にある大きな古墳状の小山がそれとされる。先代や天皇の座を狙ったという僧・道鏡との確執からこの島にされ、自死もしくは暗殺されたといわれるだ。天皇天皇


 ▼奈良期に大きな古墳が造られることはほとんどないから、この治定は間違いと指摘する学者は多い。島にはほかにも、本当のお墓ではないかという場所があるという。だがそのこととは関係なく、地元の人々のこの「悲運の天皇」への崇敬の念は厚い。



 


この部分が前回に書いた部分と全く被るのだが、やはり気になる。一体治定と地元の信仰心と混同しているのは誰か?


 


やはり何故治定が変更になれば地元の聖域としての信仰心が揺らいだり、否定された事になるのか?そのあたりが一切書かれておらず、記者の思い込みのみでしか無い気がする。


 


そもそも前段のキリスト教の部分で「事実に関係無く信仰を集める」と書いているならば、それこそ治定の変更くらい、一体何の障害になるのか?書いていて自己矛盾を感じないのだろうか?


 


さらに言えば日本には有名人が全国各地を駆け巡ったという伝説伝承が多数あり、全国各地に有名人の墓が複数あるというのも珍しくありません。源義経などが代表格でしょう。そしてそのどれもが地元から篤い信仰を受けているはずで、DNA鑑定とかで該当者の遺骸でも発見されたりしてもその各地の信仰心は消えないでしょう。


 


それと御陵の「治定」とは完全に別物の、少なくとも1000年以上続く天皇家の存在を確かに科学的根拠も取り入れて後の時代に残す為の記録作業とするべきで、それを頑なに「科学一辺倒だ」とか「地元の信仰を否定するものだ」などと言って頭ごなしに拒否する発想が理解できません。記事中にある天皇陵と地元が崇める塚も、多分治定が変更されてもやはり信仰は続くでしょう。


 


どうにもこのコラムは「科学者は大槻教授みたいに科学万能を声高に叫んで、なんでも人間の機微を否定するに決まってるんだ。」という誤った先入観で、正しく物が観れていない状態に陥っている気がしますね。


 


検索していると面白いHPをみつけた


武将の墓


 


武将や著名人の墓と御陵は違うと言われるかもしれないが、全国各地に墓のある有名人は多い。むしろ「治定」という権威を絶対視する先入観が深層にあるような雰囲気さえする。


 


むしろ本当におおらかな気持ちになれば、治定が変更されても地元の素朴な信仰心を否定する気にならないはずだ。それこそ八百万の神々という発想で、地域の聖域と科学調査で決められた治定、それぞれが別々に両立して駄目な物なのか?


 


 


【主張】天皇陵の治定 科学だけで割り切れない


宮内庁が治定(じじょう)する(定める)天皇陵の「真偽」が問われている。


 発端は、奈良県明日香村の牽牛子(けんごし)塚古墳の発掘調査である。天皇クラスの墓に限られる八角形の墳丘を持つとわかったほか、今月には古墳に寄り添うよう造られた未知の石室も確認された。「斉明の陵(みささぎ)の前に孫の大田皇女(ひめみこ)を葬った」という「日本書紀」の記述に合致する発見で、研究者は斉明の陵である可能性は限りなく高いとみている。天皇天皇


 宮内庁治定の斉明陵(越智崗上陵(おちのおかのえのみささぎ))は、隣の高取町にある。「今回を機に治定を見直しては」という論調が、メディアで目立つようになってきた。天皇


 現在、188ある陵(天皇、皇后、皇太后、太皇太后の墓所)は、ほとんどが江戸時代から明治にかけて定められた。考古学も未発達の時代に、「書紀」などに記された墓の場所を頼りに決めたのだから、科学的な検証が不十分なことは当たり前である。


 「古代の天皇陵で、確実に被葬者が一致するのは天智天皇陵(京都市山科区)と天武・持統合葬陵(明日香村)だけだ」(森浩一同志社大学名誉教授)のような指摘もある。


 ではあっても、100年以上にわたって大切に守られ、陵前での祭祀(さいし)も続けられてきた。こうした伝統を現今の「学術的成果」だけで否定し、安易に治定変更していいものだろうか。


 大阪府茨木市にあるや、手白香(たしらか)皇后陵の被葬者が本人でないことは、学界では定説となっている。しかし、継体天皇奈良県天理市継体天皇宮内庁は「(名前などを記した)墓誌(ぼし)など決定的証拠は見つかっていない」として、治定の見直しは行わない方針だ。


 古墳についての調査の水準は上がっているが、被葬者まで特定できるケースはほとんどない。「学術的には可能性が極めて高い」というレベルで、研究の積み重ねや将来の発掘成果を待つ、という態度が正しいのではないか。


 斉明は7世紀を生きた女性天皇だが、天皇天皇という存在をさらにさかのぼれば、神話の世界にまでたどり着く。科学的な目が及ばない領域だが、それでも自然な尊崇の念を抱いてきたのが日本の伝統なのである。


 きょうは天皇誕生日である。このような長い歴史と伝統にも、思いをはせたい。


 



「地域の聖域」と「科学による治定」別個に両立してこそ真の八百万の神々だ 「全国各地にある義経の墓」_c0294269_2103762.gif


 



by bluegreenEXT | 2010-12-25 11:18 | 皇室
<< 仮に都知事立候補してもなんとな... 報道ステーションのジュリアン・... >>